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ティクーン・デボーション No.27

  • tikkunjppartner
  • 2021年8月18日
  • 読了時間: 6分

2021年8月17日

黙 19:1 この後、私は、天に大群衆の大きい声のようなものが、こう言うのを聞いた。

「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。2 神のさばきは真実で、正しいからである。神は不品行によって地を汚した大淫婦をさばき、ご自分のしもべたちの血の報復を彼女にされたからである。」3 彼らは再び言った。「ハレルヤ。彼女の煙は永遠に立ち上る。」

② 4 すると、二十四人の長老と四つの生き物はひれ伏し、御座についておられる神を拝ん

で、「アーメン。ハレルヤ」と言った。

③ 5 また、御座から声が出て言った。「すべての、神のしもべたち。小さい者も大きい者も、神を恐れかしこむ者たちよ。われらの神を賛美せよ。」

④ 6 また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」9 御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい」と言い、また、「これは神の真実のことばです」と言った。


1 この場面は、天上での礼拝がクライマックスを迎える様をあらわしています。というのは、このときまさに子羊キリストの婚姻がなされようとしているからであり、またその後、最後まで主とキリストに逆らう軍勢を打ち破るために子羊キリストの率いる天の軍勢が出撃しようとしているからです。


 礼拝の次第は四つに分けられます。第一は、天に響き渡る「大群衆の大きい声のようなもの」による讃美、第二はそれに呼応する24人の長老と四つのケルビムによる「ハレルヤ!アーメン」の声(24人の長老とは、イスラエルの12部族とイエス様の12使徒を足した数字であり、いわばイスラエルと諸国民から成る聖徒を代表する者を表しています)、第三は御座からの賛美を呼び掛ける声、そして第四がもう一度天からの、しかし第一のものよりもさらに大きな「大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなもの」が叫ぶ歓喜の礼拝、です。第四の次第では、主が全地の王となられたこと、および子羊の婚姻のときがきたことを力の限り讃美しています。ここで第一と第四の次第で讃美を捧げているのは、万軍のみ使いだと思われます。丁度、イエス様が誕生されたことを彼らが天から羊飼いたちに告げ知らせたように。


2 さて、7節では、「花嫁はその用意ができたのだから。」とありますが、花嫁とは誰のことでしょうか。その光輝く麻布(天上のウェディングドレスの輝き)は、「聖徒たちの正しい行い」とありますから、もちろんそれは「聖徒たち」のことです。言い換えれば、子羊キリストに死に至るまで忠実に仕え続けたすべてのキリスト者たち、つまりみなさんや私です。もちろん、キリストの花嫁は一人ですから、私たち個々人がそれぞれに花嫁になるわけではありません(もしそうなら、キリストは一夫「超」多妻ということになりますね)。花嫁とは、キリストの聖徒たちから成る「みからだ」、つまりエクレシア(教会)です。しかもただのエクレシアではなく、「完成された」エクレシアです。御言葉に、「用意ができたのだから。」とある通りです。


 では、エクレシアの完成とは何を意味するのでしょうか。そうです、それは「新しい一人の人」の完成に他なりません。それは、必ず、イスラエルから選ばれた民と諸国民から選ばれた民とが完全に一致し、調和するキリストのからだでなければなりません。またそれは、イエス様が祈られた大祭司の祈りを完成するものでなければならないのです。「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。」(ヨハネ17:21)


このように私たちは、完成されたキリストのみからだの一部、すなわち器官として、一人の花嫁となるのです。


3 では9節「小羊の婚宴に招かれた者」とは誰でしょう。彼らはゲストであって、婚宴の当事者、主人公ではありません。つまり、それは、花婿キリストと花嫁と、この祝宴の主宰者である主なる神以外の者で、この場に臨席する者であるはずです。そうするとそれは、四つのケルビム、24人の長老、そして数えきれないほど多数の万軍のみ使いということになります。


 私たちクリスチャンは、間違いなく「花嫁」として、この婚宴の中心舞台にいます。花嫁こそが、結婚式中、最も華やかで、清らかな注目を集めるべき存在なのです。

時折、私たちは「花嫁」なのか、「招かれたゲスト」なのか、混乱される方がおられます。多分、それは、マタイ22:2-14(もしくはルカ14:16-24)の「王子の婚宴に招かれた者のたとえ」や、マタイ25:1-13「花嫁に仕える賢い乙女と愚かな乙女のたとえ」の中で、私たちは「王子(キリスト)の婚宴に招かれた者」として選びの召命を第一として生きるべきこと、また「花嫁に従う賢い乙女」のようにいつも御霊に満たされて主の再臨を待ちのぞむべきこと、を教えられているからだと思います。しかし、ここで私たちに教えられているのは、主の再臨すなわち子羊の婚姻の「とき」を迎える心構えに関することであり、子羊の婚宴を迎える私たちクリスチャンの身分のことではありません。そのとき、私たちがどのような立場で主をお迎えするのか、ということは、これら福音中のたとえ話の主題ではないのです。


4 ヨハネ黙示録21:2は、新天新地の到来と、その時天から下ってくる新しいエルサレムを、「夫のために飾られた花嫁のように整えられて」と喩えています。つまり、新天新地では、花嫁は「天のエルサレム」のことを指すというのです。これは、イエス様が、天地が刷新されるのを機に、以前の花嫁(キリストのみからだ)を捨てて、新しい妻と再婚することを意味するのでしょうか⁉ 絶対、そんなことはありません。これはおなじ「神の御国」をそれぞれ異なる表現で言い表しているものなのです。「完成されたエクレシア」「新しい一人の人の完成」は、神の御国が完成することを意味しています。神とキリストは、ご自分の聖徒たちの上にこそ、完全な御心を全うすることができるからです。そして「新しいエルサレム」とは、この御国の完成を改めてイスラエルの伝統的な表現で表したものです。というのは、エルサレムという町、あるいはイスラエルの民を、擬人的に「妻」「娘」「花嫁」と言いあらわすのが、聖書中、預言者の慣わしであったからです。実際、この天のエルサレムにおける12の門と12の土台石には、それぞれイスラエルの12部族の名と、イエス様の12弟子の名が刻まれており、それが意味するのは、先に見た24人の長老の意味と同様に、全人類が完全な調和と一致-それは新しい一人の人が究極的に表現するもの―です。実に、天のエルサレムと新しい一人の人が表現しているものは同じなのです。


  まだまだ完成には程遠いキリストのみからだの一致ですが、今あるところからそれぞれ完成を目指して、キリストの御心がなるように日々力を尽くしていこうではありませんか!


 
 
 

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