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ティクーン・デボーション No.21

  • tikkunjppartner
  • 2021年7月8日
  • 読了時間: 6分

2021年7月5日

Ⅱ歴代35:1 さて、ヨシヤはエルサレムでに過越のいけにえをささげた。人々は第一の月の十四日に過越のいけにえをほふった。35:2 彼は祭司たちを任命してその任務につかせ、彼らを力づけて、の宮の奉仕に当たらせた。35:3 それから、彼は、全イスラエルを教え導く者であり、主の聖なる者であるレビ人たちに言った。「聖なる箱を、イスラエルの王ダビデの子ソロモンが建てた宮に据えなさい。もう、あなたがたにとって肩の重荷にはなるまい。そこで今、あなたがたの神、と、主の民イスラエルに仕えなさい。・・・35:16 こうして、この日に、すべてへの奉仕の用意ができ、ヨシヤ王の命令のとおりに過越のいけにえをささげ、の祭壇で全焼のいけにえをささげるばかりになったので、35:17 そこにいたイスラエル人は、そのとき、過越のいけにえをささげ、七日間、種を入れないパンの祭りを行った。35:18 預言者サムエルの時代からこのかた、イスラエルでこのような過越のいけにえがささげられたことはなかった。イスラエルのどの王も、ここでヨシヤが行い、祭司たちとレビ人、および、そこにいた全ユダとイスラエル、さらに、エルサレムの住民たちがささげたような過越のいけにえをささげたことはなかった。


1 神様はご自身の御民を再び建て上げるとき、入念な準備を経てことをなさいます。

かつてダビデ―ソロモンの治世において祝福を極めたソロモンの神殿とエルサレムは、王たちの背教により、荒れ果て、廃れ切っていました。そこで、まず神様はユダの王としてヒゼキヤを建てられました。この時、神殿で捧げられる主の礼拝は完全に停止されていたのです(第二歴代29:7)。そこで、神の民としてのアイデンティティの回復を何よりも願ったヒゼキヤは、まず祭司とレビ人を立て直すことから始めました(同5節‐)。彼らに主に仕えることの情熱を再び燃え立たせようとしたのです。彼らは奮い立って、聖所を聖め(同15節-19節)、それから王はやってきて、国と自ら、そして民全体のために血による犠牲を捧げました(同21節―24節)。また、王は、ダビデによる聖歌隊と讃美による礼拝を回復しました(同25節‐30節)。そして、最後に全会衆に感謝のいけにえを携えてくるように呼びかけたところ(同32節)、非常に多くのいけにえが捧げられたため、祭司だけでは間に合わず、レビ人たちが一時的に祭司職を代行しなければならないほどでした(同32節―36節)。

 

こうしてユダみずからの聖別と献身がなされて後、ヒゼキヤ王は、アッシリアに捕囚として連れていかれたイスラエルの残りの民に、エルサレムに上ってきて、過越の祭りを捧げるように呼びかけました(Ⅱ歴代30:1)。もう一度、引き裂かれたイスラエルの家に、主を礼拝することによる一致を取り戻そうとしたのです。多くはこの呼びかけに答えませんでしたが、その中にはへりくだってエルサレムに上ってくる者もいました(同10節-11節)。


そこで持たれた過越祭りは、正式なものではありませんでした。なぜならそれは第一の月ではなく、第二の月になされたものであったからです。本来、トーラーは、死の穢れによるか、エルサレムから遠く旅路にある場合に限って、第二の月の14日に過越しのいけにえを捧げることを許していたのです(民数記9:10-11)。またそれまでの背信のゆえに、民の中には身を聖別できないものも多くあり、しかもイスラエル部族の中には全く異なるやり方で過越しのいけにえを食べる者もいる始末でした。しかし、それが真の悔い改めと献身の願いから出たものであるゆえに、そのいけにえは受け入れられたのです(第二歴代30:17-20)。それから7日間の種入れぬパンの祭りは、全イスラエルを巻き込んでのリバイバル集会となりました。「Ⅱ歴代誌30:26 エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代からこのかた、こうしたことはエルサレムになかった。」と記されている通りです(このリバイバルがあったからこそ、アッシリア王セナケリブのエルサレム侵攻は食い止められ、偉大な主の奇跡が現れたのだと歴代誌の記者は解釈しているようです〔第二歴代32:1〕参照)。


2 そうして、ヨシア王の時代になり、このリバイバルは完成されます。ヨシア王もまずユダとイスラエルの全土を偶像の穢れから聖め、さらに破れて放置された神殿の修復に取り掛かりました(第二歴代34:3-13)。その過程で、主のご摂理によって、書記シャファンは、ずっと忘れられて、ほこりをかぶっていたトーラーの巻物を発見して、ヨシア王に渡しました。申命記であったと理解されています(同14節-19節)。それが読まれ、そこに書かれていることを聞いた時、ヨシア王は、大いに悔い改め(同19節)、それがまるで当時の堕落と背教をそのまま言い当てているように感じて(例えば、申命記28章15節‐)恐れおののきました(Ⅱ歴代34:21)。しかし同時に、悔い改めることによって希望が残されていることも知ったことでしょう(申命記30章)。ヨシア王は、その後、ユダとベニヤミンの民と共に申命記にしたがって生きることの契約を結び(申命記6:4‐)、その証として、そこに記されている通りに過越祭りを祝うことを決定しました(Ⅱ歴代35:1‐)(ちなみに、そのとき、契約の箱がもう一度神殿の至聖所に戻されています。それまで契約の箱ですら、ずさんに扱われていたような酷い状況であったのかもしれません)。それは大いなる祭りとなりました。「Ⅱ歴代35:18 預言者サムエルの時代からこのかた、イスラエルでこのような過越のいけにえがささげられたことはなかった。イスラエルのどの王も、ここでヨシヤが行い、祭司たちとレビ人、および、そこにいた全ユダとイスラエル、さらに、エルサレムの住民たちがささげたような過越のいけにえをささげたことはなかった。」とある通りです。


3 リバイバルはまずヒゼキヤ王によって導かれ、それをヨシア王が完成しました。両者の共通点は、心からの悔い改めと献身が捧げられていることと、その中心にいずれも過越しの祭りがあったことです。過越しの祭りこそ、イスラエルのアイデンティティを再び確立し、自らの召命に立ち返らせるにふさわしいものでした。そして、いずれの場合にも、王に与えられたリバイバルへの情熱は、レビ人(働き人)に移植され、彼らの献身的な奉仕によって成し遂げられたということです。


 では、ヒゼキヤの時代にはなくて、ヨシアの時代に起こされたものとは何だったのでしょうか。それは、申命記という御言葉に導かれたものであったということです。ヒゼキヤの時代には主に向かう心と情熱はありましたが、それは必ずしも知識に基づくものではなかったのです。ヨシアは、恐れおののきつつ、すべてを御言葉に従って執り行いました。それゆえ、第二歴代誌の記者は、ヨシア王が捧げたような過越しのいけにえはサムエル以来、捧げられたことがない、と語ったのです。もっとも、ヒゼキヤの時代になされたことで特筆すべきことがあります。それはユダばかりではなく、全イスラエルの残れる者にも広く主への悔い改めと献身、そして一緒に礼拝することが呼びかけられたことです。つまり、一人ユダのリバイバルだけではない-アッシリアによる捕囚という大惨事を経て-全イスラエルが一致してリバイバルしなければならない、という意識が、ヒゼキヤ王にはあったことが分かります。


 私たちも、このヒゼキヤ王に始まりヨシア王に至ってリバイバルが完成されるのを見て、

そこから多くの大切な原則を学ぶことができるのではないでしょうか。日本とイスラエル、そして世界のリバイバルの完成と御国の到来のためにいよいよ祈ってまいりましょう。

 
 
 

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