ティクーン・デボーション No.10
- tikkunjppartner
- 2021年4月21日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年5月2日
4月19日
①出エジプト12:21 そこで、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び寄せて言った。「あなたがたの家族のために羊を、ためらうことなく、取り、過越のいけにえとしてほふりなさい。22 ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。23 主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家に入って、打つことがないようにされる。
②詩篇91:3 主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。4 主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。5 あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。6 また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。7 千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。8 あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。9 それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。10 わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。

イスラエル南部のベイト・グヴリン遺跡 ネティブヤのハナ・コヴナーさん提供
・今、イスラエルでは、過越祭(西暦2021年3月27日(土))、「種入れぬパンの祭り」(同3月28日(日)~4月3日(土))が終わり、五旬節(同5月17日(月))を待ち望んで「大麦(オメル)を数える」(レビ記23章15節)季節となりました。ユダヤ人は、五旬節では、モーセがシナイ山でトーラーを授かったことを祝いますが、メシアニックジュ―にとっては、それはまた、偉大な聖霊降臨が教会に起こり、聖霊によって律法が受肉するという預言(エレミア31章33節)が成就したことを覚えるときです。私たちも霊的な意味において、聖霊による刷新と、生ける主の御言葉が私たちの内側にいよいよ書き記されることを覚えて、今年のペンテコステ(教会歴では西歴2021年5月23日(日))を迎えたいと思います。
・ところで、過越祭りとは、エジプトに対する最後の(10番目の)裁きにおいて、子羊の血が鴨居と門中に塗り付けられた家を主が「過ぎ越して」(パサハ)、長子の死をもたらすという災いがその家の者には及ばないようにされたことに由来しますが、この裁きを実行したのは誰でしょうか?確かにそれは主によってもたらされたものですが、実際に実行したのは「滅ぼす者」(デストロイヤー)あるいは死の使いであり、主はむしろそれを阻止するために子羊の血の塗られた家の戸口を「過ぎ越され」た、というのです(出エジプト12:23)。つまり、この「過ぎ越し」の本当の意味は、その家を避けて通り越すということではなく、むしろ家の戸口を「通り越して(またいで)家の中に入る」という意味であり、主に家の中にまでお入りいただくことで、滅ぼす者が家の中に入ってこないように守っていただく、ということなのです。
・また詩篇91篇は、主がご自分の羽で私たちをおおわれ、私たちは「その翼の下に身を避ける」ことで、一切の災い、ことに恐ろしい疫病から守られる(3-4節)、と述べています。別の表現では、いと高き方である主を私たちの避けどころ、また住まいとすることで、「わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない」(9-10節)とも述べています。
・これらはみな同じイメージを私たちに喚起します。すなわち、主がご一緒にいてくださること、あるいは主の中にとどまり続けること-これこそすべての災いに対する最高の守りだということです。
今なお、新型コロナの脅威に翻弄される世の中ですが、私たちは、主と共にあることにおいて立ち上がり、全能者の守りの中にあることを確信しながら、むしろ今の世にあって居場所を失い、希望をなくし、孤独にさまよっている多くの魂に手を差し伸べることができるよう、共に祈ってまいりましょう!
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