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ティクーン・ディボーション No.4

  • tikkunjppartner
  • 2021年3月8日
  • 読了時間: 4分

更新日:2021年4月1日

3月7日 エペソ人への手紙 4章11~15節

「(11節)こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。(12節)それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。(13節)私たちはみな、①神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、②一人の成熟した大人となって、③キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。(14節)こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、(15節)むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。」





 この箇所は、いわゆる5役者の奉仕の重要性についてパウロが教えているところですが、その中でもとりわけ論争の的になるのが「使徒」です。まずここでいう「使徒」とは、イエスの「12使徒」とは異なります。12使徒の場合の「使徒」職は特別で歴史的なものであり、彼らが負っていたのは「証人」としての務め−イエスの死と復活の目撃「証人」あるいは当該証言の真実性を命を賭して証しする「証人」−です。この務めをなし得たのは、この12人の他にはありません。この点で、大文字のAから始まる【12 Apostles】なのです。それに対して、エペソ書で言及されている「使徒」とは、文字通り「派遣された者」を表す一般名詞であり、いつの時代にも普遍的に存在し得る役職です。それゆえ、小文字のaから始まる【apostles】として表記されます。以下では、もっぱら一般名詞としての「使徒」を用いて参ります。


 まず使徒が遣わされる場所は言うまでもなく「教会」です。それは何か特別なミニストリーであったり、人の耳目を集めるような聖会などではありません。

 次に使徒の主たる働きは、宣教の対象となる地域−その広がりの程度に応じて多層的に重なり合う−において五役者として召されている聖徒を選び出しあるいは見出し、遣わされた地域に応じた宣教戦略に従って、彼らを一つのチームに編成することです。その中で互いに御霊の賜物を用いて仕え合いながら、そのチーム力を最大限に高め、かつ責任を持ってチームを守ります。もちろんパウロがそうであったように、使徒は、聖霊が導かれる宣教戦略を受け取り、これに完全に服従しなければなりませんが、そればかりではなく、チームの構成員にそれをきちんと伝えなければなりません。使徒とは、その意味で、チームのdirectorであり、また聖霊の御思いについてのcommunicatorであることが求められるのです。


 最後に祝福された大いなる希望について申し述べます。それは、使徒を中心とする5役者の機能が教会に正しく回復されることは、取りも直さず奥義としての教会−イスラエルのレムナントと諸国民のレムナントから成るキリストのからだ【新しい一人の人】の完成-に直結するものであるということです。そして教会の完成は約束された事柄なのです。なぜなら、その時には、我々聖徒の全員が教会として①神の御子に対する信仰と知識において「一つ」となり、また②「一人の成熟した大人」となり、遂には③「キリストの満ち満ちた(プレローマ)身丈」にまで達する、すなわちキリストのからだとして完成の域に至る、と聖書が述べているからです。何という驚くべき約束でしょうか!キリストの再臨までに、かくまで尊い一致へと「我々/教会」が果たして辿り着けるのでしょうか?聖霊は、このように、奇跡でしかあり得ないような一致へと、我々を高く引き上げてくださる−それほどまでに力あるお方なのでしょうか・・・答えはyesです。しかし、同時にそれは我々にとっては壮大なチャレンジでもありましょう。


 いずれにしても、この教会の完成、それからキリストの再臨という出来事が、5役者の務めが正しく、十全、かつ広範囲に回復することにかかっているという事実に、今、我々はしっかりと向き合わなければならないのではないでしょうか。


 「神様!私たちを教会として完成に至らせるために、5役者を現代において回復させてくださるということは、私たち人間には到底成しがたいことのように見えますが、あなたはそれを約束してくださっています。どうぞあなたの御心のままを行なってください。そのためにも、我々聖徒が、本気で互いに愛し合い、赦しあい、謙遜の限りを尽くして互いに仕えあうことを選び取る者とならせてください。アーメン。」

 
 
 

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