ティクーン・ディボーション No.14
- tikkunjppartner
- 2021年5月19日
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5月17日
ルツ2:19 しゅうとめは彼女に言った。「きょう、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いたのですか。あなたに目を留めてくださった方に祝福がありますように。」彼女はしゅうとめに自分の働いてきた所のことを告げ、「きょう、私はボアズという名の人の所で働きました」と言った。2:20 ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。」それから、ナオミは彼女に言った。「その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。」

画像引用元:https://www.thetorah.com/article/shavuot-how-the-festival-of-harvest-grew
・ユダヤ歴では、丁度、本日(西暦5月17日)が、シャブオット(七週の祭り[ヘブル語で「週」を表すシャブアの複数形]、ギリシャ語でペンテコステ)のお祝いです。過越祭(第一月十四日)の翌日の第一月十五日が「安息日」(「聖なる会合」レビ23:5-7)であり、その日から7日間「種入れぬパンの祭り」を祝います。また、安息日(第一月十五日)の翌日(第一月十六日)は、祭司が収穫の初穂を主の前に揺り動かす日であり、その日はイエス様が丁度、十字架の死から復活された日でもあります(「Ⅰコリント15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」)。そして、その第一月十六日から7週を数えて、その翌日が「シャブオット」になるという訳です。ですから、ユダヤ歴では、シャブオットはシヴァンの月(第三の月)の6日に祝われることになります。
・冬の雨季が終わり、春の雨(後の雨)がイスラエルの土地(ハ・エレツ)に降り注ぐ頃、乾季の始まりと共に大地の収穫が始まります。そして、春の雨が注がれる頃、過越祭り-種入れぬパンの祭りが始まるわけですが、丁度、シャブオットの頃、小麦の収穫が始まります。そこでシャブオットは、まず収穫の初穂を主に捧げるという意味を持ちます。丁度、イエス様が召天されて、10日後に迎えたシャブオットにおいては聖霊が注がれ(使徒2:1以降)、そこで聖霊を受けた120人ほどのイエスの弟子たちは、まさに収穫の初穂として主に捧げられたものとなりました。そして、その日にはもう彼らに倣う者が3000人も加えられたのです。
また、シャブオットでは、二つの「種を入れて焼いた」パンを主への初物として捧げますが(レビ23:17)、それは伝統的には「ユダヤ人と異邦人」を意味すると理解されています。つまり、お互いにパン種の入ったパンとして「罪ある現実の姿」のユダヤ人と異邦人が和解し、神に受け入れられる(これらを神の前に揺り動かす[レビ23:20]という祭司の行動は神の前に受け入れられる聖なるものとなったことを表す)ということを意味するというのです。
現在、2014年以来となるイスラエルのガザ侵攻があるかどうかが議論となるほどに、イスラエルとパレスチナアラブ人双方の緊張が高まっていますが、このようなときにシャブオットの季節を迎えるというのは、霊的にも大いに意味があると思います。どうぞこの時、この祭りが表している「二つのパン」が神に受け入れられるということが現実となり、アブラハム家族の一致を願う両者の側のレムナント、そして世界中のレムナントであるクリスチャンの願いの祈りに主が答えてくださいますように、切に祈ります。
・シャブオットは、またトーラー授与祭としての性格を併せ持っています。それは、モーセが出エジプトを導いた最初のシャブオットは、丁度、モーセとイスラエルがシナイ山に到着し、そこで十戒を授かった日と重なり合うことによるものです。
ちなみに出19:1、16-17、出20:18などから、イスラエルの民が十戒の教えを直接神から口頭で授かったのは、第三(シヴァン)の月の三日ということになります。そしてモーセはさらに主から教えを受け、民にそれを教えると共にそれを書き記した後、民を血によって聖め、70人の長老と共に契約調印の食事をします。それからモーセは一人シナイ山に上っていって、7日間とどまった後、栄光の雲の中に招き入れられ、そこで40日40夜を過ごします(以上、出エジプト24章)。そこでようやくモーセは主の十戒が書かれた石板2枚を主から授かることになるのです)。
私たちクリスチャンは、シャブオットを、律法(御言葉)が下された日であると同時に、イエス様の復活後初めてのシャブオットの日に聖霊が注がれたことを覚えて、記念します。それは、エレミヤ書31章33節にあるように、神様が新しい契約として、主の御言葉(律法)を私たちの心に書き記してくださったことを喜んでいるからです。そしてそれはまさに御霊の働きによって、はじめて実現すべきものであったからです(エゼキエル36章25-27節、Ⅱコリ3:3「あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです」)。
・イスラエルでは、丁度、シャブオットのときに、ルツ記が読まれることが習慣となっています。それは、ルツ記の背景となっている季節が、ちょうど小麦の収穫がはじまるころだからです(レビ記23章には、シャブオットを聖なる日とする戒めに続き、「貧しい者と在留異国人のために」落ち穂を残しておくようにとの戒めが記されていますが(レビ23:22)、丁度、この落穂拾いがルツ記のテーマとなっていることはよく知られたことです)。
ルツは、ボアズに出会いますが、ボアズは丁度ナオミの夫エリメレクの一族に属する有力者で、エリメレクから本来二人の息子(マフロンとキルヨン)に相続されるべき土地を「買い戻す」ことの権利を持つ者でした。イスラエルの土地は本来イスラエルの全家に与えられたものであり、それが他の者にわたってはいけないことを前提に、イスラエルの土地は必ず買戻権(いわばオプションとしての反対売買の権利)を付して売買されなければならないとされていました(レビ25:23)。しかし、不幸にして窮乏等を理由に、その土地を手放した者があり、自ら買戻権を行使することができない場合(この場合マフロンとキルヨンが共に男の子を設けずに死んでいる)には、その者に代わって、その土地を買い戻すことができる者が近親者の中に定められていました(レビ25:25)。この人のことを、「買い戻しの権利のある者」、ヘブル語で「ゴエル」と言いました。ゴエルというヘブル語はより一般的には「贖う者」を意味する言葉です。つまり、自らの失敗によって失ってしまった、父祖代々受け継がれてきた聖なるイスラエルの地の相続分を、ゴエルはその人の代わりに買い戻し、現状に復せしめてくださるということです。イエス様も、私たちにとってゴエル(贖い主)です。しかもイエス様は、ルツのような在留異国人である私たちのために、イスラエルが相続すべき永遠の御国を私たちのためにも、実に尊い代価を払って買い戻して下さったのです。イエス様の御業をほめたたえます!
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