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ティクーン・ディボーション No.12

  • tikkunjppartner
  • 2021年5月5日
  • 読了時間: 6分

5月3日 ローマ11:26


こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。27 これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。29 神の賜物と召命とは変わることがありません。



イスラエル南部のベイト・グヴリン遺跡近辺 ネティブヤのハナ・コヴナーさん提供


1 イスラエルの取消されない、永遠の賜物と召しとは何でしょうか?

まず、神の賜物については、別のところでパウロが述べている通りです。すなわち、「彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。5 父祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。」(ローマ9:4-5節)。


 では、神の召命については、どうでしょうか。私は、三つあると思います。イスラエルは、今日まで、2000年以上の長きにわたり、民族全体としては福音を拒み続けているわけですが、それでもその永遠の召命を果たすために、今日もなおイスラエルは神の選びの民として存在し続けているのです。


2 第一の召しは、神様の永遠のご真実を世界に証することです。

「主はこう仰せられる。主は太陽を与えて昼間の光とし、月と星を定めて夜の光とし、海をかき立てて波を騒がせる方、その名は万軍の主。『もし、これらの定めがわたしの前から取り去られるなら、──主の御告げ──イスラエルの子孫も、絶え、いつまでもわたしの前で一つの民をなすことはできない。』主はこう仰せられる。『もし、上の天が測られ、下の地の基が探り出されるなら、わたしも、イスラエルのすべての子孫を、彼らの行ったすべての事のために退けよう。』──主の御告げ──」(エレミヤ31:35-37節)


主は、ここで太陽や月、星、それに天地を証人として呼び出して、「一つの民(民族)としてのイスラエルの存続」を誓っておられます。これは神様が御自身にかけて誓われたアブラハムへの誓い(創世記22:16-18)と同じものであり、また神がご自身の御名の聖を示すために「イスラエルを諸国民の間で主の民として贖う」という約束(エゼキエル36:23-28)にも通じるものです。つまり、イスラエルが、そのすべての不義と罪にもかかわらず「主の選びの民」としての地位と資格を失わないのは、ひとえに神ご自身による、これらの誓いと約束の言葉の故なのであり、このようにして彼らは、世界中の民の前で、神の契約に対する限りない真実と愛を証しているのです。それゆえに、私たちは、神の言葉と約束(聖書)に、心から安心して、全幅の信頼を置くことができるのですね。


3 第二の召しは、偉大な、最後のリバイバルをこの世界にもたらすことです。神は、アブラハムに対して、「あなたの子孫によって、地の全ての国々は祝福される。」(創世記22:18)と約束されました。確かにアブラハムの子孫であるユダヤ人イエス様によって多くの諸国民は祝福されてきました。それは言葉にすることのできないほど大きな祝福です。でも神様が約束されている終わりの時代の祝福は、それにはるかに勝る偉大なものなのです。


今まで、イエス様は、当のアブラハムの子孫(イスラエル人)にとっては、必ずしも諸国民を祝福する自分たちのメシアではなく、むしろ呪われたもの(彼らの記録では「イェシュ」という蔑称で呼ばれている)、あるいは端的にユダヤ人を憎むように教えているキリスト教の教祖-「異邦人の王」である、と見なされてきました。また、イエス様を主と仰ぐ諸国民にとっても、必ずしもイエス様を「ユダヤ人の王」として認識してきたわけではなく、まるで無国籍の超然とした(でも金髪で青い目の)神の子として捉えてきました。ユダヤ人と異邦人の双方から、イエス様は「あなた(アブラハム)の子孫」としてのアイデンティティを奪われてきたのです。でも、近年、双方から、「アブラハムの子孫、ユダヤ人イエス」という主のアイデンティティが見直され、回復されつつあります。


異邦人の側からは、イエス様は何にもましてイスラエルのメシアであり、ユダヤ人の王だからこそ、私たち異邦人を救うことのできる、幾重にも預言された真の救い主なのだという理解が広がり始めてきました。では、イスラエルの側でも、イエス様を自分たちの父祖であり、かつ真実にイスラエル民族を贖うことのできる油注がれた王であると認めることが起こっているのでしょうか?はい、まさにそれがメシアニックジューの存在です。それはいよいよイスラエル社会において無視できない存在になりつつあります。そして、遂にイエス様が真のアイデンティティにおいてイスラエル民族に受け入れられた時-何が起こってくるのでしょう?それは最終的な世界のリバイバルです。まさに死者からの復活というべき世界大の霊的地殻変動が起こってくるのです!


「もし彼ら(ユダヤ人)の違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、(世界全体に)もたらすことでしょう・・・もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、(世界全体が)死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。」(ローマ11:12、15)とある通りです。そのような意味において、イスラエル民族は、遂にイエス様を自分たちのメシアとして受け入れることで、世界に最終的な救いの完成と主の裁きをもたらすという召しを担っているのです。


4 第三の召しは、イエス様をエルサレムにお迎えする―イエス様の再臨のための最後の引き金を引く―というものです。イスラエル民族が自分たちのメシアとしてイエス様を受け入れる程に、彼らのイエス様への叫び、「あなたのしもべたち、あなたのゆずりの地の部族のために、どうかお帰りください。」(イザヤ63:17)という叫び声が高まってきます。そして、イエス様が語られた「『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」(ルカ13:35)という御言葉に従い、エルサレムにおいて『祝福あれ(Baruch Have「ようこそ、お帰りなさい」の意)。主の御名によって来られる方に』という叫び声をいよいよ高く、大きく、そして強くしていくとき-全ての条件が成就するとき-イエス様は万軍のみ使いとともに、天を押し曲げ、輝かしい栄光の内にエルサレムに戻ってきます。イエス様は、実に、ご自分の民であるイスラエル民族の歓呼と歓声の内に凱旋されるのです(マタイ21章「棕櫚の聖日」の記事はいわばその予行演習のようなものでありました)。その中に、あなたはいるかもしれません。私もできれば生き延びて、その歓呼の列に加わることができればと願います(が、それは父にしか分かりません)。でも、間違いなく言えることは、最後にはユダヤ民族が、自分たちの王メシアとしてイエス様を受け入れる準備を万端整えて、はじめてイエス様は、エルサレムに再臨されるのです。


もちろん私たち諸国民のクリスチャンにも、イエス様の再臨のため、そこに至るまでになさなければいけないことがあります。それは、私たちがメシアニックジューの兄弟たちと共に、民族としてのイスラエルの救いの完成のために祈り、かつ全ての点において心を合わせていくことです。私たちの祈りと献身がなければ、イスラエル民族の救いなど望むべくもありません。なぜなら、それこそがサタンが保持している最後の砦なのですから。諸国民のクリスチャンの一致、あらゆる教団教派から成るキリストのからだの一致、そして何よりもメシアニックジューの兄弟たちとの一致があって、はじめて鍵が開かれる―それこそ、イスラエルの民族的な救いなのです。私たちは、このことをしっかりと胸に刻みつつ、日々、主の導きの中を進んでまいりましょう。

 
 
 

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